統合失調症??が旅に向けて徒然なるままに日々をおくる

統合失調症と診断され仕事も失い友人もいない
生きる活力がなく生きる場所を見いだせない
そんな中自然回帰をめざし
この弱い個体の中の野生の心を探し
限りなく黒い白になってしまった心の白をみつめ
旅に出るべく日々右往左往する様を徒然と書いていくブログ

幻:10 心の回復(不完全)

とても心地の良い朝です


農業を初めて数ヶ月経ちました
お寺の方も続けています。


病気の渦中にあったとき、このまま人生が終わるのではないかとずっと思ってた
でも耐えて良かった、心が生きる、回復する感覚が味わえる
こんなに気持ちのいいことはない
ドラッグで一時的に快楽を得るよりずっと長く気持ちがいい
この感覚を維持するためにしっかり生きようと思う
どんなに苦痛を味わい、味わせても
まっくろくなりそうでも小さな白を捨てなかった、黒に染まらなかった
黒いより、はるかに白いほうがいい


心の反転、ようやく回復する実感を得た




幻:9 昔話、そして伝説へ…ではなく農への再チャレ

20代のはじめ頃にサラリーマンに見切りをつけてから、ずっと肉体労働をしていた。
肉体労働者が歳をとった時、次に行く道は農業しかないと思ってた。
でも途中で肉体労働を辞めるきっかけがつかめないまま仕事を続けていたんだ。
だが、突然人生の何回目かの岐路、会社でのイジメからの統合失調症発症(´・ω・`)
会社を辞めるとき、その時の社長に「農業をやります」って言って辞めた。
それから数年頭のなかで考えるも全く行動できずにいたんだ。
発病して何年後だったかな…??
徳島の実家に小さな田んぼがあるのを知ってたから、思い切って単身徳島に飛んだ。
むこうの爺さんたちと話すのは楽しかったが、いかんせん自分は思考伝播状態で陽性症状
うまくいってたはずの人間関係も速攻で崩れ、警察沙汰にまで発展\(^o^)/
強制送還され、少し経って医療保護入院させられた。
これは本当にきつかった…しかも統合失調症の閉鎖病棟ではなく
薬物使用者が入る病棟に入れられたのだ!!
俺はその時すでに薬物から手を引いていた、何度検査してくれと頼んでも聞き入れてくれない。
「検査して陰性なら普通の病棟に入れてくれ」と主治医に懇願しても聞き入れてくれない
病棟内には電話があって、そこから不服申立てができるところへの電話がかけられるようになっていた。手紙も書いた。でもまわりからは「それ電話おいてあるだけで、意味ないから」とか「いくら何やっても出れないよー」ということを言われ、絶望した。
おまえも薬物を使用していたから、いいだろう?と思う人がいるかもしれない。
それは違う、とにかく思考伝播状態(陽性?)がひどい、だけど薬物で入ってる人に
聞いてみても、そんな話を聞いたこともない人たちばかりだったんだ。
話がまったく噛み合わないのだ…楽しく昔の薬物話で盛り上がれるほど体調はよくなかったし、病状のことを相談できる人が一人もいない世界で3ヶ月閉鎖病棟、まさに地獄だった。
 文章が長くなってしまったので…その後退院v


地獄だったはずの閉鎖病棟は精神にはとてもよく効いたらしくとても落ち着いてた。
そこから何回かアルバイトをしてからようやく水稲の仕事についた。
これが本当に面白かった、結果辞めてしまったんだけど…でもまたやりたいと思う仕事だった、性に合っていた。(前のブログにも書いたような気がする…)


ここでようやく再チャレの話なんだけど、かなり長くなったので終わろう( ´ー`)y-~~


幻:8 ボッチッチ


ボッチになって約8年が経った。


8年勝手にボッチ修行してるんだから、もう一丁前のボッチになるころだろう…
完全体のボッチになったら何が待ってる?
わかりきったことだよな…
そうなる前にどうにかしなきゃ、と考える頭(知恵)がない。
自分の中の?大きな流れに身を任せて、流れ流れて行こうと思う。
自分で人生をコントロール出来ないんだからしようがない…
弱気になってるわけじゃない、強気になりたいわけでもない。
自分なりに、自然に生きてたら結果こうなった、ボッチッチ。


冬の夕日がとてもさびしく目に映る( ´ー`)y-~~